キングコング西野の件は「炎上」ではない

お笑いコンビ「キングコング」の西野亮廣さんが、自身のブログで「お金の奴隷解放宣言。」というタイトルで執筆したが多くのメディアで取り上げられましたね。その際、『炎上』という文言とともに記事にされていました。しかし私はそこに疑問を抱きました。これは果たして本当に、『炎上』といえるのだろうかと。

キングコング西野さんの意思

本人はクリエイターを煽る気は一切なかった

ソーシャルメディア内では今回の件に対して「賛否両論」があり、様々な人が意見を述べています。しかし実は西野さんにとって、この光景が不思議でしかたがないのです。だってそもそも、世のクリエイターのことなど眼中にありませんでしたから。

西野さんは今回、別に出版業界やクリエイターの人々と戦争を起こそうとしたワケでもなんでもありません。単に、「絵本を無料化することで可能性が広がるビジネスもあるんじゃね?」的なノリで、自身が取り組んだこと、そこで感じたことを述べたに過ぎませんでした。

あのブログ記事がここまで大きな波紋を呼ぶとは考えていなかった、それは「想定外の炎上だった」という意味ではありません。『炎上』そのものの「本質」が彼には見えなかったのです。

「!」か「?」か

西野さんは結果的に多くの人からバッシングを受けたわけですが、彼はその時どう感じていたのでしょうか。感情の記号的に「!」なのか、それとも「?」なのか。

普通ならば、自分が発信したモノが原因で人々が怒り、メディアが取り上げ次々に拡散されていった場合、少なからず焦りであったり、驚愕であったり、もしかしたら逆ギレするというような、「!」の反応をするでしょう。

しかし、西野さんの場合は「?」でした

クリエイターはこうあるべきである!みんなもそう思うよね!?というような、意見への同調を強制させることなど一切していなかったわけです。それなのに、なぜか『炎上』ということになっています。ここが今回の騒動の謎ともいうべき点です。

炎上という「場」にさせられた西野氏

火種はどこ?

さて、突然ですが皆さんに質問です。今回、何が「炎上」の火種になったと考えますか?

「何を馬鹿なことを、そんなのキングコング西野のブログが火種に決まってるじゃないか」

おそらくほとんどの人がそう考えます。確かにそうですね、誰しもがそういう前提のもと、西野さんを攻撃する姿勢で批判の意見を述べています。

では、その批判の意見を述べている「誰しも」とは、具体的にはどういう方々ですか?試しに、Twitterで「キングコング西野」とツイート検索してみましょう。どのような方々のツイートが多く拡散、共有されているのでしょうか。

目立っているのは、「クリエイター」または「クリエイターを守ろうとする人々」の声ですね。中には有名なクリエイターさんも混ざっているようです。そして互いのツイートを引用するような形で、意見を交わしています。

さらに、誰かがこの件に関するブログを執筆すると、また誰かがそれを取り上げて、SNSで拡散されて、それを受けてまた誰かが反応する。そのようなループ状態になっています。

こうした流れの中だと、誰もが『キングコング西野が炎上した』という前提に疑問視することはありません。その前提があって、みんなが意見を述べているという形になっているのですから。

しかし、実はこの時点で気づくべきなのです。火種は彼のブログにはないということに。

クリエイターが自ら炎上させた

西野さんの記事を受けて、業界に悪影響が出る!という非難であったり、クリエイターを侮辱している!という抗議であったり、さまざまな内容で多くの人がメッセージを発信しています。

キングコング西野という悪人がいて、クリエイターという正義があって、その正義を支持する人がいて。典型的なヒーローショーです。ただ今回、このヒーローショーの脚本家が問題でした。

それは、ヒーロー本人です。

最初から悪人なんていませんでした。しかし、必要だったのです。ヒーローが登場するには。そこで、西野さんを配役をしたわけです。

一連の「キングコング西野の絵本無料公開問題」、ここに最初に火をつけたのは、クリエイターたちです。そしてその火種は、彼らが用意したものでした。それを、西野氏のあのブログ記事に置き、火をつけて燃やしたのです。

発信しやすい「炎上」というシチュエーション

西野氏とクリエイターたちが、互いの意見に共感、賛同するという未来はおそらく訪れないでしょう。理由は2つあります。

相容れぬ存在

1つ目は「西野さんが理解ができないこと」です。

西野さんはこの状況に関して、「?」という感情であったということを記事のはじめのほうで述べましたね。クリエイター側がここまで食ってかかってきている状況が不思議なのです。

「あんなことを言わなければいいのに」と批判する人がいますが、「あんなこと」が悪いことであると西野氏は感じられないのです。これは彼の感覚と、彼ら(クリエイター)との感覚がまったくもって異なっているからでしょう。

利用価値としての「炎上」

2つ目は「クリエイターはそれを特に望んでいないから」です。

「炎上」というカタチは、実にいい露出の機会です。それは、その炎上の対象となっている人にとって、という限りの話ではありません。その炎上の場を利用して意見を述べる人にとっても、露出の機会となるわけです。

よくいわれる炎上商法というのは、前者のことですね。しかし今回の件は、後者の色が強いということです。クリエイターが、意見を述べる機会になったと。

『クリエイターさんを守っていかなきゃね!』そういう流れにして、その空気感の中であればクリエイターたちや、それを擁護する人々は意見を非常に述べやすいでしょう。

そしてそのためには、大きな強い矢印が必要だった。どこかに対して、みんなが視線を向けていられるように。誰かが、何かが、攻撃の対象となる必要があったわけです。

それが今回、西野さんのブログだったという、これがこの『炎上』の真相だったわけです。

生み出された「炎上」だった

ではクリエイターに非があるのか?

「クリエイターがわざと炎上させてそれを利用した」、そういう結論なのか?クリエイター側に非があるということをいいたいのか?と疑問を投げかけられるかもしれません。しかし、それは違います。

実は私自身、クリエイターの端くれです。今回の騒動について、クリエイター視点での意見がないわけではありません。西野氏のブログ記事の書き方も悪かったと考えています。彼の感覚的な文章は、一見すると侮辱にしか思えませんでしたから。

しかし、この『炎上』と称されたものについて、熱く燃え盛っているものだからこそ、一度冷静な視点で見つめ直してみる必要があると感じたのです。

この件には「賛否両論」があると、多くのメディアが報じています。しかし、そもそも「論」の発生自体に疑問を抱いているところはありません。『炎上』が起きていることへの興味しかないからです。

一度それが『炎上』であると定義づけられた場合、その勢いを止めることはできません。私はなんとかそこに一石を投じたかった。それでこの記事を執筆しました。

キングコング西野さんも、クリエイターの皆さんも、消費者の皆さんも。見えない敵とずっと戦い続けるのは、もうやめにしませんか?